自分の心の中に宗教を持つ。というのはたぶん大切なことなのかなと思う。別に僕自身熱心な仏教徒や(我が家は浄土宗)、神道の信者(太宰府天満宮で修行経験ありだが)という訳では無い。ただ、小さな頃からお寺はお盆や法事のときに、神社は初詣でなくても何かと足を向けることが多かった。家の仏壇にも3日に一回くらいは手を合わせたり、仕事場の神棚には気がついたときにお神酒を入れ替えたりしてちょいちょい関わっている。が、そういうことが大切だということではなくて(多分大切だとは思うけど)、自分の存在は自分だけで成り立っている訳じゃないということさえ分かれば、宗教は自分の外に求めなくてもいいのかなと思ったりするのだ。
むかし、有楽町駅前でよくある手相の勉強でみたいな人に声をかけられて、途中まではすごくいい感じだったのだけど最終的に何かの新興宗教のセミナーに勧誘されたことがあった。その時も心のマイ宗教のおかげで「縁があったらまた会えますよ」と悟りきったひと風のセリフを放って勧誘員とお別れすることが出来た。でも今考えると、そのセミナーではどんな壷を売りつけられるのかちょっと見てみたかったなと思う自分もいるのだ。