25日 4月 2017
最近ヤフオクをちょくちょく確認するようになったが、その最初のきっかけは偶然江戸後期のモノと思われる御所人形をモニターの中に見つけた事から始まった。薄汚れて割れも入ったひどい状態の人形だったけれど、ぼおっと遠くを見つめる表情についつい引き込まれて、この人形を絶対落とすと心に決めた。さいわい御所人形の目利きが出来る人がほぼいないご時世なのでほとんど競る事なく落札できた。 ずさんなダンボールにわしゃっと梱包されて我が家にやって来た彼は、本当に江戸期の不思議な空気を纏った品格の高い可愛い人形だった。箱を開けたとたんに江戸時代が一瞬部屋に充満したような心地。烏帽子を付けてぺたりと座り手元で亀を遊んでいる姿が実に雅な雰囲気だ。顔をよく見ると頬紅が薄くさしてある。これはなかなか珍しい作例じゃないか。記憶の中では宝鏡寺の「千代丸様」という、ちょっと阿呆っぽいかわいさが魅力の人形も頬紅がさしてあったはずだったなと思い、古い本をひもといた。うーん、見れば見る程似ている。口は千代丸様が笑って歯を見せているのに対しヤフオク君はへの字にむすんでいると違いはあるけれど開眼の仕方や眉の引き方、頬紅、顔の雰囲気どれをとっても同一の作者としか思えない。御所人形には作者の名前は入らない。だからこそこういう共通性の発見には無上の喜びがある。僕はこのヤフオク君を宝鏡寺の千代丸様の生き別れた弟と思うことにし、亀千代と名付けた。いつか亀千代を京都へ連れて行って千代丸様と対面させてあげたい。そして、そのときの為に傷ついた亀千代を出来る限り古雅に修復するのが僕の使命のように感じた。
21日 11月 2016
「伝統と革新」という言葉は非常に使い古された言葉だが、常に僕の頭の片隅にしまってあって制作中のふとした瞬間に「でんとうでんとう..」「かくしんカクシン......」ともぞもぞと顔を出してくるものだ。 ただ最近は「革新」の代わりに「更新」でもいいかななんて考え出している。「伝統と更新」。...
18日 1月 2016
自分の心の中に宗教を持つ。というのはたぶん大切なことなのかなと思う。別に僕自身熱心な仏教徒や(我が家は浄土宗)、神道の信者(太宰府天満宮で修行経験ありだが)という訳では無い。ただ、小さな頃からお寺はお盆や法事のときに、神社は初詣でなくても何かと足を向けることが多かった。家の仏壇にも3日に一回くらいは手を合わせたり、仕事場の神棚には気がついたときにお神酒を入れ替えたりしてちょいちょい関わっている。が、そういうことが大切だということではなくて(多分大切だとは思うけど)、自分の存在は自分だけで成り立っている訳じゃないということさえ分かれば、宗教は自分の外に求めなくてもいいのかなと思ったりするのだ。 むかし、有楽町駅前でよくある手相の勉強でみたいな人に声をかけられて、途中まではすごくいい感じだったのだけど最終的に何かの新興宗教のセミナーに勧誘されたことがあった。その時も心のマイ宗教のおかげで「縁があったらまた会えますよ」と悟りきったひと風のセリフを放って勧誘員とお別れすることが出来た。でも今考えると、そのセミナーではどんな壷を売りつけられるのかちょっと見てみたかったなと思う自分もいるのだ。
17日 1月 2016
師匠に入門して約5年。そろそろ年季が明ける。つまりは弟子卒業。師匠からお祝いにとジャケットをプレゼントしていただいた。「ああ、これで俺も独立かっ!」と晴れがましい気分で制作に意気込みたいものですがなかなかそういう気分にはなれません。なぜなら師匠は父ですから。家業を継ぐと決意しましたから。ずうっと僕は家におるのです。...
13日 1月 2016
人形の命は顔だとかはよく聞く話。確かに一番その人形の雰囲気や存在感を左右する場所は顔なのだが、その中でも一番の命は眉だと思う。実際目よりも書くのが難しいし、目よりも失敗が分かりやすい。表情も眉の角度だけで笑ったりしかめたりと変わってしまう。女の人のメイクも眉毛が難しそう。時代性も出るし、最近は太眉が流行ってるというふうに。...
07日 1月 2016
昨年末に初めて絵馬をつくった。僕が学校を出てすぐ修行に出された太宰府天満宮からのご依頼で。 お正月から社棟に並ぶというのでやはり干支の絵を描くことにした。それにしても思えば高校受験、1度目の大学受験、 2度目の大学受験と受験の度にお正月に太宰府へ行き、必死に絵馬に合格祈願を書いたことが懐かしい。...
06日 11月 2015
生まれて初めてニューヨークへ行った。というかアメリカ自体初めてだから新鮮で、だから感じたことを文章に残しておこうと思う。10月16日から21日までの短い間だがニューヨークへ行った。旅の理由は師匠で父の中村信喬の参加するグループ展が開催されているからだ。JFK空港についた途端にアメリカらしいおおざっぱな雰囲気が感じられる。ホテルへのシャトルバスに乗り込んでハイウェイを進む間、ホコリっぽい街を眺めていた。福岡の家を出て18時間くらい経つともうマンハッタンに居る。遠いのか近いのかほんと不思議な気持ちだ。 人形師という職業柄、人を無意識にたくさん見てしまうのだが、この街には世界のほぼ全ての人種が居るなと思った。アメリカに慣れている人には当たり前なのだろうけど、僕にはすごいことで雑踏の中をすり抜ける間に大袈裟にいえば世界一周旅行したような気持ちになった。 そして、この人たちをみんな人形にしてしまったら面白いかなと思った。 日本やアジアを題材にすることが多かったけどもっと大きな視野で人形を作れるといいなと。 昔の人形師達は皆その時々の身の回りの風俗を取り上げて、例えば江戸時代だったら町衆や侍、遊女等を人形にしているのだけれど、僕はこの平成の現代の人物像に全く興味が持てなかった。だから、千年前の人物を作ったり、自分でファンタジーを創造して作品をつくってきた。だけど今回ニューヨークに来て、色んな人種の人たちが同じ街で暮らしている状況を目にしてこれを人形に出来たら現代の人形師になれると思った。今の僕らには、世界はこんなにも近くにあるんだと実感した。
07日 6月 2015
福岡に生まれて東京へ出た。そして、また福岡で暮らしている。 この土地を基盤にしてたくさん面白いことがしたい。 ここで作った作品を日本や世界の人に見てもらいたい。 東京から離れることで見えるものや、地元で培われた価値観が僕をどんどん 育てている。人もいい。街もいい。 福岡良いとこ一度はおいで。 一緒に焼き鳥食べにいこう。
03日 3月 2015
はじめて取り組んだ雛人形がようやく形になった。 ことのはじめは娘に雛人形を送りたいという依頼が二つ入ったからだった。 雛もまた娘を思う親心が具現化したものだと思う。 古典の模倣から入り、形、顔、模様、サイズ等一つ一つ吟味しながら色違いの二組の立雛をこしらえた。...
01日 3月 2015
昨年末に子供が生まれ、何かと慌ただしい日々を送っているけれどおかげで最近ある仮説を思いついた。 それは、江戸期の御所人形師は自分の子供が生まれてから3年目くらいまでに一番思いの入った人形を作ったのではないかというたいそうくだらない仮説だ。 このくだらない仮説の根拠その1は、子供というものへのリアリティだ。...

さらに表示する