福岡市美術館にて「更紗の時代」という展覧会を見た。なんとか最終日にすべり込んだ。更紗はもともとインドの伝統的な染色布なのだが古くから貿易品として珍重され、アジア各地、日本、ヨーロッパ、さらにはアフリカまで運ばれその土地々々で愛されてきた。退色を防ぐ為に普段よりかなり暗く設定された会場には驚くほど精細な文様の更紗たちがその美しさを誇るようにして並んでいた。色彩が鮮やかすぎて暗さはほとんど気にならなかった。
会場の解説の中にとても印象深い一文があった。ヨーロッパから発注されるようになった更紗にインドの職人達は独自の植物文様を描き埋め尽くした。しかし、その草花達は、世界のどこにも存在せず、また、どの神話にも登場しない植物だったという。そのため、インド更紗は世界の誰にとっても異国風で魅力的だったのだそうだ。
「世界の誰にとっても異国風」
そういえば僕もそんな人形を作りたかった。ここではないどこかにきっと居そうな、でもどこにもいない人。
初の個展を終えて色々な思いが自分の中に漂っているが、その中の非常に大切な事柄について書いてみたい。
ギャラリーマルヒでの個展が決まりテーマを考えている時に、ギャラリーが東京の中でも格式高い根津神社のお膝元に位置していることに気付いた。僕も実はその時まで根津神社の御祭神がスサノオノミコトだとは知らず、境内に足を運んだことさえなかったのだが、スサノオとヤマタノオロチという神話の世界にとても心惹かれ個展のメインテーマに据えることにした。
その後個展に来られた方々とお話をする際に根津神社は知っていてもスサノオが奉られているということを知らない方が意外に多いことを知った。その度に根津神社やスサノオのことを来てくださった人に説明するにつれ、なるほど僕はスサノオ像を作ったのではなく作らされたのだと感じた。僕は根津神社やスサノオのことを皆に考えてもらう為の媒体になったのだ。人形師として非常に重要な経験を積めたと思う。人形師は表現者である前に純粋な媒体であるべきなのだろう。亡き祖父の「自分で作っていると思うな、作らされていると思え」という言葉を会期中ずっと憶い出していた。
自分の血に流れる何かの声に耳を傾けて、それこそあまり斜に構えたりせず反抗もそこそこに日々を送ってきた(と思っているのは自分だけかもしれないが)。その結果遊びが少ない分、深度のある作品を作れるようになったのかもしれない。ここから先は遊びも重要じゃないかと我が血の声が囁いてる気がする。
初めての個展を控えて大変忙しい日々を送っている。僕は忙しい時程新しい作品のアイディアがよく浮かぶ性質らしい。あれもこれもと手を出しすぎて間に合わないかも、という焦燥に駆られているけれどすごく愉快な部分もある。
今日、僕の愛犬をモチーフにした作品を仕上げた。随分前から作り始めていたけどだいぶほったらかしにしてあった。15歳を越える老犬だから、生きているうちに完成させられてよかった。
人形とは誰かを忘れない為にも存在するかもしれないなと思った。
いま、水がただ単に上から下へと飛沫を上げて落ちているように見えるという作品を作っているが、これが何とも僕の心をつかんでいる。作り物の水が落下している。ように見える。というのが一つのポイントなんだろうか。人形を作る時とは別の感覚。そもそも人はあふれんばかりの水を見ると妙に惹き付けられるようだ。滝然り、噴水然り。僕らの祖先が海からやってきたことときっと関わるがあるのだろう。
素焼きの土の上に牡蠣殻を砕いた胡粉の下地。その上に鉱物の粒子がニカワで溶かれて重ねられ、さらに金のツブテが流れて溜まる。自然から抽出したものを無理のない形で再構成する。この無理のないというところが難しい。まだまだ素材を生かしきれていないことが多い。
自分の作る作品の精度をどんどん増してギンギンにしたい時間が続くと、すごく良い調子なように感じてしまうが反面視野が狭くなってきているのに気付きにくくなっている。自惚れ。自分の作風が狭くなっているよ。もっともっと自由に。もっともっと遊ぼう。と自分に声をかける。死んだあとにあの世から見て大小様々色々作ったなと思いたい。
先日、かねてからの念願だった沖ノ島へ行くことが出来た。玄界灘に浮かぶ沖ノ島は半径50キロに渡って周りに島の無い絶海の孤島。古代の祭儀の痕跡がそのまま保存してある女人禁制、一般人の上陸もほぼ許されていない神の島。
島からは一草一石持ち出してはならない。上陸前に裸になって海に浸かり禊ぎをする。島の様子は話してはならないという昔からの言い伝えがあるそうだ。僕も臆病者なのでこの場で記述するのは避けるが、島の聖地に向かうため森を歩くと古代にタイムスリップしたような気分になれた。船に乗ってからも後部デッキから遠くに霞んでゆく島影をながめていた。ベタ凪の水平線と青い島の輪郭と雲のない空。それらの関係がとても綺麗で思わず手帳の空白にボールペンでスケッチしていた。
猿がヒトになった瞬間があるとすれば、それは、地球上で初めて人形が作られたときではないかと最近思うようになった。その人形がどのようなものだったかは想像するすべも無いが、生物史上初めて自己を客観的に認識したという証明だろう。ヒト以外の生き物は、自分は魚だ鳥だ猿だというようなことを思いはしないだろうが、自己というものを相対的に知覚することが出来るようになったヒトという生物はそれからどんどんヒトガタを作り始める。それは土器や石包丁の発明よりも随分と早い時代の出来事だ。ヒトは人の形を作り続けてきた。それが土偶にせよギリシャ彫刻にせよ、はたまた神や仏の御姿にせよ、ヒトの興味は人の形に向かいまだまだ飽きることはなさそうだ。それもそのはず、ヒトは人形をつくることによって初めてヒトたり得たのだから。
久しぶりに手元に戻ってきた自分の作品を見て抱く感想は、おお、若かったねえ。か、これ本当に自分が作れたのか?のだいたい二通りで片付く。前者の場合は自分の成長を感じるし、後者は自分の作品ではないような気がして不思議な気持ちだ。
ただどちらにも言えるのは、今の自分にはどちらの作品も作れないということだろう。即ち逆もまた然りか。