生まれて初めてニューヨークへ行った。というかアメリカ自体初めてだから新鮮で、だから感じたことを文章に残しておこうと思う。10月16日から21日までの短い間だがニューヨークへ行った。旅の理由は師匠で父の中村信喬の参加するグループ展が開催されているからだ。JFK空港についた途端にアメリカらしいおおざっぱな雰囲気が感じられる。ホテルへのシャトルバスに乗り込んでハイウェイを進む間、ホコリっぽい街を眺めていた。福岡の家を出て18時間くらい経つともうマンハッタンに居る。遠いのか近いのかほんと不思議な気持ちだ。
人形師という職業柄、人を無意識にたくさん見てしまうのだが、この街には世界のほぼ全ての人種が居るなと思った。アメリカに慣れている人には当たり前なのだろうけど、僕にはすごいことで雑踏の中をすり抜ける間に大袈裟にいえば世界一周旅行したような気持ちになった。
そして、この人たちをみんな人形にしてしまったら面白いかなと思った。
日本やアジアを題材にすることが多かったけどもっと大きな視野で人形を作れるといいなと。
昔の人形師達は皆その時々の身の回りの風俗を取り上げて、例えば江戸時代だったら町衆や侍、遊女等を人形にしているのだけれど、僕はこの平成の現代の人物像に全く興味が持てなかった。だから、千年前の人物を作ったり、自分でファンタジーを創造して作品をつくってきた。だけど今回ニューヨークに来て、色んな人種の人たちが同じ街で暮らしている状況を目にしてこれを人形に出来たら現代の人形師になれると思った。今の僕らには、世界はこんなにも近くにあるんだと実感した。
福岡に生まれて東京へ出た。そして、また福岡で暮らしている。
この土地を基盤にしてたくさん面白いことがしたい。
ここで作った作品を日本や世界の人に見てもらいたい。
東京から離れることで見えるものや、地元で培われた価値観が僕をどんどん
育てている。人もいい。街もいい。
福岡良いとこ一度はおいで。
一緒に焼き鳥食べにいこう。
はじめて取り組んだ雛人形がようやく形になった。
ことのはじめは娘に雛人形を送りたいという依頼が二つ入ったからだった。
雛もまた娘を思う親心が具現化したものだと思う。
古典の模倣から入り、形、顔、模様、サイズ等一つ一つ吟味しながら色違いの二組の立雛をこしらえた。
古い良いものには時代を飛び越えてこちらに訴えかける力がある。雛人形の美しさは江戸時代に生まれ江戸時代に完成したと思う。だから、今の時代に僕が雛に対して出来たのは古き良きお雛様方に胸を借りてディテールの吟味選択とサイズの調整、
あとはいかに清潔に仕上げられるかということだった。
そうして出来上がった二組の雛人形をみてみると不思議なモダンさをまとっていた。
願わくばこの僕の雛達には、二人の女性のそばで末永く彼女達を見守り続けるという役目を全うしてほしい。
昨年末に子供が生まれ、何かと慌ただしい日々を送っているけれどおかげで最近ある仮説を思いついた。
それは、江戸期の御所人形師は自分の子供が生まれてから3年目くらいまでに一番思いの入った人形を作ったのではないかというたいそうくだらない仮説だ。
このくだらない仮説の根拠その1は、子供というものへのリアリティだ。
今度の五月までに僕も息子の初節句に大きさ一尺程の御所をこしらえたいと思っているのだが、心のどこかにある一種の使命感を感じている。
御所人形は子に降りかかる災厄を退ける身代わりとして作られてきたが(本来の起こりは宮中なのだがここでは省いておこう)幼い子の健康を願い、何事もなく育ってほしいと親が思うのは今も昔も変わらないようだ。こんなに科学や医療が発達した現代でも幼い子の命はやっぱり危うい。それが江戸時代なら尚更だったろう。
僕が作った人形なんかに病気や事故をよけるとかそんな神秘の力は無いのだが、病気にならないでほしい、事故に会わないでほしいという祈りに似た気持ちをどうにか形にすることは出来るのだ。
そして、もう一つはくだらない仮説に相応しく非常に当たり前のことなのだが、自分の子供が生まれると単純に子供をよく観察するようになる。
僕自身日々我が子に接することによって、「子供」という造形が頭にしみ込んでいっている。子供をつくるのは難しいとよくいわれるのだがそれは、子供が大人の縮小版ではなく全身の隅から隅まで子供のフォルムをしていて実際に本物を見ないと作るのが難しいからだ。
僕は江戸期の人形師らが子をもうけた時に感じたであろう「子供」に対する思いを追体験しながら、自分もまた人形が作れる喜びを今感じている。
そしてもう一つ付け加えるならば、江戸期の御所人形達には制作年はおろか作者の銘すら入っていないので、僕の仮説を証明する手だては今のところ無いということ。